なぜ移住?

パパのこと

パパも移住となるのだろうか?

さて、初めてブログを立ち上げることとなりました。
今までも何かあればブログを立ち上げては数週間で飽きてしまって長続きしないということを何度か経験してきました。

でも、今回こそは続けたいと思います!

ブログのタイトル「パパも移住」とありますが、元々は「パパボッチ」というタイトルでYouTubeとブログを立ち上げる予定でしたが、色々と忙しかったりして結局そのままになっていました。

なぜこのタイミングで、しかも「パパも移住」となったかというと。
今日、ビザを申請しに行ってきました!!!

なので、無事にビザの申請が通れば「パパも移住」が叶うということです

どうして移住をしようと思ったのか?

自分は神奈川県に住んでいたのですが、そもそも移住を考えたのは今から6年半ほど前のこと。
39歳と11カ月で病気になった。癌だった。

幸い、早めに発見できたのでしっかりと治療すれば完解になるという主治医を信じて治療した。

3ヶ月間の入院を経て無事に治療は終了。その後は定期的な検診を行うまでに快復。
その病気が転機となり、移住を考えるようになった。
胃がんや食道がん、肺がんなどであれば「生活習慣病」として食べ過ぎや塩分の取り過ぎなどが考えられるが、癌のできた部位は「精巣(右側)」なのです。とはいっても「性病」ではない。

となると考えられるのは『ストレス』なんだろう。
ちょうど病気が見つかったころ、仕事上のストレスがピークだった。

身を粉にして働いたけど報われない

病気をした当時は、それなりに役職もついており給料もまぁまぁよかった。
エリアマネージャー的な立場になり、自宅から片道2時間、満員電車に揺られて仕事をしていた。

前任が大きく売り上げを伸ばしていてくれたおかげで、自分が着任するときには売上予算が大幅に跳ね上がっていた。しかも、その時の売れっ子営業マンを数名引き連れて別のエリアに異動するということになる。

そして、自分が着任してからは大幅売り上げダウン。まぁ、私のリーダーとしての資質が足りていないということなんでしょうが。会社全体で大幅売り上げダウンの年。
集客が必要な所謂「保険ショップ」で勤務していたのですが、集客の対前年比で80%程度しか会社全体でも来ていない状況で、予算が前年比110%って。

TOP営業マンを集めてようやく届きそうな予算だが、そんなに人員を集められるわけでもないし、人はそんなにすぐに育たない。
結果として2年間でそのエリアの役職を解かれて降格になる。

しかも、自分と同じように予算の未達の人は別のポジションにはなったが降格にはなっていない。
どう考えてもおかしい。
って、タイミングで癌が発生。間違いない。他の理由は考えられない。

ということで、オラこんな村嫌だぁ

村ではないが、都会での生活に辟易していたので奥さんに相談。
父の実家がある山形や、祖母の田舎となる小田原方面など(自分が神奈川県)も選択肢に入れたりしていたので実際に現地に行ったりもした。

しかし、2人の子供の教育環境などを考慮すると「ここじゃない」という話になる。
でも、もう満員電車は嫌だった。「座れない」レベルではなく「ギュウギュウ」レベルなのです。

自分は横浜生まれの横浜育ちで生粋の浜っ子。で3人兄弟の3男坊
長男は奥さんの実家のある愛媛。次男は岡山の山奥で生活をしている。
2人とも大都会に汚される前に脱出したのだ。 
「あぁあぁぁ、果てしない~」(大都会:クリスタルキング)

結果として決まった移住先がマレーシア

タイトルの画像にもあるように、結果的に移住先に決まったのは東南アジアのマレーシアです。
山形県や小田原など日本国内ではなく結果的に海外移住。
では、なぜマレーシアになったのか。

これは、結婚10周年ということで家族でフィリピンのセブ島に旅行に行ったのが始まり。
奥さんが元々自宅で英会話教室を運営しているので、子供たちへの英語教育にも熱心。
家族旅行のついでに、長男と奥さんはそのまま滞在して短期留学を経験。
自分と次男は先に日本に帰国となる。

その時の旅行先で「こういった南国で生活するのもいいよね」というと奥さんが「ここならいい!」と前向きな発言!今まで国内で「ここはどう?」と聞いても「う~ん」と反応がよろしくなかったがセブ島ではよかったらしい。

「セブ島」がいいというよりは、子供たちに英語を含めた教育環境について良いと思ったんだと思う。

そして、フィリピンでの仕事探し。これがうまくいかない。なんせ、私自身が英語が喋れない。
中学生の英語で止まっている状況なのです。
日本に比べて物価が安いとはいえ、それなりの給料を希望すると日常会話程度のスキルは必要になる。
色んな求人サイトを見ていたが、なかなか見つからない。

同じ東南アジアの欄によく出てくるのが「マレーシア」だった。
マレーシアのことをよく知らなかったので調べてみた(今でも全然詳しくはないですが)
フィリピンと違って銃規制もあって、治安が良さそう。割と親日家も多くいるくらいの情報でフィリピンからマレーシアに移住先を変更しました(安易ですね)

簡単に言うとこういう経路を辿ってマレーシアへの移住を決意したということです。

さて、ここから今日まで約6年半。
色々紆余曲折ありました。家族全員で移住をするはずがパパボッチになったり、満員電車が嫌で仕方なかったのに転職先でまた満員電車に乗る羽目になったりと。
それはまた次の記事で書こうと思います。

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